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塩(しお)は、塩化ナトリウムを主な成分とし、海水の乾燥・岩塩の採掘によって生産される物質である。調味料(食塩:しょくえん)・保存料(塩漬け)として使用されるほか、化学工業(ソーダ工業)の原料として使用される。女房言葉では「波の花」とも呼ぶ。 塩の製法には、主に
といった方法がある。 世界の塩資源の6割が岩塩。4割弱が天日製塩法による天日塩である。ちなみに日本はそのどちらの資源もほとんど存在せず、自給率が15%と極めて低い。 岩塩はその昔、海であった土地が地殻変動により地中に埋まり海水の塩分が結晶化し地層となったものである。つまり、塩はもとをただせばすべて海水からつくられる。岩塩の製法は溶解採掘法と、乾式採掘法に分かれる。溶解採掘法は一度水に溶かし、煮詰めて塩を取り出す。不純物が混じらないので、食用としても使える。一方、乾式採掘は直接掘り出す方法で、不純物が混じりやすく、また硬いので食用として適さない。 また天日製塩法については、海水を塩田に引き込み、天日で乾燥させて塩を採取する方法である。汚染された海水もそのまま使用するため、そのままの食用は衛生上食用には適さない。アメリカや韓国では食用使用を制限、ないし禁止している。 海水から製塩するには、直接海水を煮詰めて食塩を得るより、一度、塩分濃度の高い塩水を作ってから煮詰めたほうが効率が良い。この濃い塩水を「鹹(かん)水」と言い、この作業を「採鹹(さいかん)」、また煮詰める作業を「煎熬(せんごう)」という。 古代の日本の製塩法は文献や民俗資料から、おそらくこのようであっただろうと推定されている。古墳時代までは、『万葉集』に「藻塩焼く」「玉藻刈る」などと枕詞にあるように、海岸に打ち上げられたホンダワラなどの海草が天日で乾燥されて表面に析出した塩の結晶を、甕(かめ)に蓄えた海水で洗い出し、塩分を海水のほうに移す作業を何回もする。これによりかん水を得る。または、打ち上げられたホンダワラなどの海草を集め、藻を焼き、その灰を海水に溶いて塩分や海草のヨードなどの養分を溶かしだし、灰を布で濾しだしてかん水を得るという方法があった。海水を煮詰める工程において専用に用いられた土器は、製塩土器と呼ばれている。沿岸各地の遺跡、遺物埋抱地で見つかっている。 その後、万葉時代頃から、揚浜式塩田などの塩田法による製塩に移行していった。揚浜式製塩法は入浜式製塩法、流下式製塩法(枝条架(しじょうか)式)、イオン交換膜製塩法へと変化していった。1960年代までは、日本でも塩田による生産が岡山県や香川県などの瀬戸内海沿いの地方で行われていたが、1970年代には工場生産に移行された。 塩は人間の生存に必須のため、古くから政治的、経済的に重要な位置を占めていた。特に中国では前漢時代より塩の専売が行われており、2000年にわたる皇帝支配の財政的基盤となった。日本でも江戸時代に塩の専売を導入する藩があった。忠臣蔵で知られる赤穂藩はその代表格である。明治時代になり、政府でも日露戦争の財源確保のために、塩に税金を掛ける案が出たが、これに反対する人たちが塩の販売を専売制にするように提案、これが議会で通り、塩の専売制が始まった。 専売制開始(1905年)当時はタバコ・樟脳とともに財源確保の目的の強い専売品であったが、第一次世界大戦期のインフレなどにより財源確保の意味合いは薄れ、国内自給確保の公益目的の専売制度に大正末期より変化した。 当時より自給率の低かった日本は需要の多くを輸入もしくは移入に頼っていたために、第二次世界大戦時には塩の輸入のストップから需要が急激に逼迫し、公益専売制度についても機能不全に陥り、1944年より自家製塩制度を認めることとなった。この自家製塩制度については直煮法など原始的な製造法が大きく、品質も不純物の多いものが多かった(制度としては1949年まで続く)。 戦後復興などによる工業用塩の需要増などから輸入を再開し、国内製塩事業による自給確保と安価な塩の全国的な安定流通を目的に塩専売法を改正し、設立された日本専売公社においてその事業を復活させることとなる。 しかしながら、世界最大の塩資源である岩塩が存在せず、平地が狭く雨の多い日本では天日塩の生産にも適さなかったことから、奈良時代より濃い塩水(かん水)をつくり、それを煮詰める、という極めて製造効率の悪い製塩方法が続いていたことから、海外の市販塩との品質差が大きかった。
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